宝塚を長く観ていると、ときに「どうしても、感性に響かない」「どうしても好きになれない…」と、ふと戸惑うことがあります。
それは決して、特定のタカラジェンヌさんや作品や組を全否定する気持ちではなくて…
でも自分の「好き」の感覚と“何かが噛み合わない”ような、そんな小さな違和感から始まります。
今回は、宝塚歌劇という愛すべき世界の中にもやっぱり存在する「人間らしい気持ち」
その心の揺れを整理しながら、組カラーや変化、そして希望について綴ってみたいと思います。

その魅力を、うまく受け取れないときもある
舞台の上で懸命に輝こうとするタカラジェンヌの皆さんに、20数年の宝塚ファン歴の中で、常に応援の気持ちはあります。舞台の世界に身を投じて、青春の全てを捧げて懸命に研鑽を重ねるタカラジェンヌたちに、敬意を持っています。
それでも正直に言えば、どうしても自分の「好き」という感性に寄り添わない場合もある。
それは、その方や作品、組の魅力に共鳴できるタイミングが、まだ来ていないだけなのかもしれません。
以前の私なら、その感覚には蓋をして、ただそっと距離を置いてきました。苦手であれば、無理して観ない。ただそれだけのこと。
そして、自分の感性に合わないからと言ってTAKARA座でも批判は決してしたくないし、でも触れることも控えたい。
なぜなら書いてしまうと、どうしてもネガティブな表現が入ってきそうだから。
それを読んで、心が辛くなる方も居るかもしれない。
そう想像すると、ここに書く意味を感じないからです。
けれど今、TAKARA座を続ける中で、宝塚歌劇を愛する気持ち、礼真琴さんが大好きな気持ちを軸にたくさんの感情を言葉にしています。
この状況の中で、やっぱり避けては通れないんですよね。
宝塚の中にも、やっぱり「好きになれないままの部分がある」ことを…。
そして、「好きで居たいのに居れなくなった部分」も…。
だから、そんな自分の正直な感情とも向き合いながら、言葉にしてみたいと思うようになりました。
その理由のひとつは、“組カラー”なのかもしれない
どうして、「感性に合わない」と感じることがあるのかと考えてみたら…
もちろん自身の「好み」は人間なので誰しもあると思うのですが、それとは別にやっぱり「組カラー」の存在もひとつあるのかな、と感じています。(前提として、「組カラー」の存在は大切だと感じていて、私は好きです)
例えば私が大切に思っている組、星組には、熱さ、華やかさ、現代的なきらめきといった、独特のカラーがあります。宝塚歌劇の品格を大切にしながらも、とても人間らしさやユーモアがあるところも、大好きです。
先日観たスカイステージの過去のご出演番組で白妙なつさんが語ってくれていた「星娘の特長をひとことで表すと?」の答えは「派手」でした。
有沙瞳さんが組替え当初、上級生にヘアアクセサリーなどを「もっと華やかにしていいよ」とアドバイスされた話。
そうしたエピソードにも、星組の気風がしっかりと息づいているように感じます。
そして、「特にショーでとてつもなく輝くトップコンビ」に星組らしさを感じるのです。
こういう星組のカラーに、私はやっぱり惹かれているのかな。
星組を観ると元気が湧いてくるし、本当に観た後に心も体も軽くなるような不思議な感覚になって、「私も頑張ろう!!」って背中を力強く押してくれるような、必ずそんな気持ちで帰路につきます。
それは、今の礼真琴さんが仲間たちと築いてきた、「星組カラー」のひとつなのではないかな、と一ファンとして感じています。
化学反応を期待しての配役、でも…
もちろん、宝塚には「化学反応」を期待して行われる配役や組替えがあります。
違う個性が混ざり合うことで、新しい魅力が生まれることもたくさんある。
事実、いくつもの感動が、そこから生まれてきたし、私も組替えはやっぱりチャンスだと捉えています。
けれど、あまりにも組カラーとかけ離れた雰囲気の方が組替えになった場合、やはりご本人にとっても、ファンにとっても急な変化への戸惑いが生まれるのではないかとも、過去の事例を思い出すと感じるのです。
たとえスターとしての可能性があっても、組全体の持ち味とその方の持ち味の調和が難しいと、舞台に少しずつその“ズレ”がにじみ出てしまう。
与えられるお役にもズレが生じて力を出し切れずに、宝塚歌劇を去ってしまうこともあるのかなと…
退団後のご活躍もとても嬉しいけれど、やっぱり宝塚歌劇の世界でも、もっともっと観たかったなと感じたんです。
暁千星さんは、とてつもなくしっくりきた
その一方で、暁千星さんが星組に来られたとき、驚くほどしっくりと馴染んだ感覚がありました。
ありちゃんが、初めて合流した全ツ。
星組にとって休演も続いた過酷な全ツ、祈るような思いで当時、「モンテ・クリスト伯」「グランカンタンテ!」のライブ配信を見つめました。
その時、大好きなことなこ、そして頼もしいせおっちの活躍はもちろん…
ありちゃんが加わって、「グランカンタンテ」のあのマタドールのようなお衣装で客席に向かって指差しウィンクをバチコーーーーン!!と決めた時、「これは、絶対いける!!」と謎にガッツポーズしたくなったのを思い出します(*^-^*)
そしてありちゃんは、いつかこの星組を背負う存在になると…。


もともと持っているものが、星組の熱さや華やかさとぴったり重なっていて、「この方が星組を背負っていく姿が、自然に想像できる」と感じたのです。
特にショーで、水を得た魚みたいだと感じました。
だから、ありちゃんが今、偉大なトップスター「礼真琴」の存在が目の前から消えること、そしてそれを引き継ぐ現実に不安と葛藤があることが、数々のインタビューから伝わってくるけれど…
ありちゃんは、星組カラーとご自身の持ち味が、とても良い方向に融合されていて…。きっと、星組のスピリットは深く、ありちゃんの根底に流れていると感じます!
一方で、そのカラーとあまりにも異なる個性が「組の顏(トップスター・トップ娘役)」にとなると、少し戸惑ってしまうこともあるのかもしれません。
ただ組カラーと持ち味が合致していなくても、どのスターにも舞台を重ねる中で磨かれる魅力がありますね。
初めは違和感があっても、観続けるうちに「組カラー」の壁を越えて大きく印象が変わることもあります。
最初に抱く「違うかも」という感覚を、無理にねじ伏せずに丁寧に見つめることもまた、ひとりの観客としての素直な在り方だと思うし、希望を持てますね。
時間が育ててくれることもある
過去には、なぜかずっと心に響かなかった方が、時を経て観返すと、とても魅力的に感じられたことがありました。
ある、トップ娘役さんでした。
その当時は、どーーーーーーーーしても観たいと感じられず、観れなかった。
でも、退団後の様子を拝見したり、今の宝塚を観ていたりして、改めてその時代を観返したくなったんです。
そこで観た彼女は、とても美しかったし、当時は気付かなかった魅力を、今なら素直に受け取れました。
タカラジェンヌは、退団してもやっぱり気になる存在で、そのセカンドキャリアの歩みの中で、だんだんと共鳴できるようになっていくこともある…
そんな“変化”もまた、宝塚の醍醐味だなぁと感じています。
だからこそ、今はまだ心に届かないとしても、これから先、思いがけず心を掴まれる日が来るかもしれない…
そんな希望も、宝塚にはあるのだと思うのです。
観続けるという応援のかたちもある
だから、自分自身の中に在る違和感に蓋をして、今すぐに無理をして好きになろうとしなくてもいいのかな、と思っています。
でも、だからといって以前のように全く観ない、という風に目を背けずに舞台を観続けるのもいいのかなと…。
好きで居たくてもいれなくなった時、少し距離を置く時間がほしければ、その気持ちに素直に従う。
それが、私にとって、批判をせずに末永く応援していくためのひとつの形なのかもしれません。
宝塚を観るということは、個々のスターだけでなく、その組の空気や物語、受け継がれてきた“色”を愛するということでもあるから。
違和感をおぼえたとき、それを否定はせずに見つめること。
そして、その先にある化学反応や成長にも、目を向けていくこと。
好きになろうと無理するのではなく、距離を取ってもいいし、ただ、そこにある舞台を丁寧に受け取っていくのもいい…
そんな形もあっていいのかな、と思います(*^-^*)
宝塚が好き、礼真琴さんが好き。
その気持ちは変わらないものとして、ずっとそこに在ります。
どんなときもいつの時代も、そこに存在してくれていて、自分の心のままに戻ってこられるのが、この世界の素敵なところだと、改めて感じています(*^-^*)
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