宝塚歌劇がさまざまな報道に晒されてから、宝塚歌劇を取り巻く環境が大きく変わりました。
問題がシンプルであれば、解決策もシンプル。
ですが、問題が複雑化しているからこそ、解決策も迷走しているように感じます。
一ファンとしては、宝塚歌劇がどのような背景があって今の姿になっているのか、知るべきなのかそうではないのかを判断することができません。
美しい「変わらない世界」を愛でることがファンとして正しいことなのか。
美しい「変わらない世界」の裏側を知り、時に糾弾することが正しいのか。
人それぞれに、正義があり意見を述べていらっしゃるのだと思います。
私自身は、攻めるべき相手が明確になっていない中で、何かを誰かを糾弾したくない。宝塚歌劇に受け継がれてきたこれまでの伝統も含めて、宝塚歌劇の過去を全て否定するようなことも決して言いたくない想いです。
そして、「大好きな人たち(私で言うと、礼真琴さん舞空瞳さん)が自らの意志で舞台に立ちたい」そう思っているのならば、待ちたい。
宝塚関連の映像をまだきちんと観れていない私ですが、博多座ミーマイを生観劇をして、変わらない宝塚歌劇の世界がそこにありました。外部のミュージカルや他の舞台演劇とはやはり異なる魅力と、美しさと、ときめきがそこにありました。
過去をずっと遡れば、厳しいお稽古も辛い経験もあったことでしょう。
それを乗り越えて、舞台に昇華することが今の時代に合っているのかはわかりません。
時代はこの数年で大きく進んだともいわれています。一方で人と人とのコミュニケーションの難しさ、ジェネレーションギャップが大きくなってきていることも実社会で叫ばれていることです。
この溝を埋めるために必要なのは、「互いに寄り添う心」しかないのかな…と思います。全て押し付ける、全て受け入れることはできないけれど、「寄り添う」ことはできる。そうして思いやりを忘れずに、互いの考えや想いの裏側を思いはかる。
ただ重大な課題が洗い出されたら、難しくともその解決への道筋を何とか見つけてほしいです。
私が宝塚ファンになってから20数年。
宝塚歌劇に夢中になったり離れたりしながら、今があります。
でも、どんな時にも宝塚歌劇はいつもそこにどっしりと存在してくれていました。
「宝塚歌劇に元気をもらいたい」そう思った時に、その時々のスターさんたちが私を鼓舞し癒してくれました。
時代を超えて、バトンをつなぎながら109年。今、宝塚歌劇の歴史の中でもしかすると最も厳しい事態になっているのかもしれません。そのようなタイミングに、こんなにも大好きな礼真琴さん舞空瞳さんが在籍し、トップスターとして居てくれていること…。涙が出てきます…。
どうか、大好きな人たちが悲しい思いをしたり、自分の「職業」に負い目を感じたりせずに過ごしていてほしいです。今でもやはり観劇してみて、宝塚歌劇の光を感じたし宝塚歌劇にしかない輝きを感じます。
明日の星組ライブ配信は、宝塚を愛する方たちがたくさん視聴されたらいいな…と心から思います。「タカラジェンヌ」としての誇り、そして「舞台人」たちの想いが伝わってきます。
「変わらない宝塚歌劇の姿」がそこにあることに感謝しながら、私も明日のライブ配信を大切に視聴したいと思います。
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