宝塚の男役といえば、夢の世界に住む“麗人”のイメージが強いもの。
それこそが、宝塚男役のアイデンティティですよね。
けれど、そんな幻想を軽やかに飛び越えて、生身の“男性”の気配をまとったお役があらわれました。
そう、こっちゃん(礼真琴さん)が演じた「出門」は、まさにそんな人物でした。
美しさと力強さ、儚さと実在感…
そのすべてを、無理なく自然に纏うトップスターの姿は、今のこっちゃんだからこそ到達できたものだったように思います。
「フェアリー」だけでは届かない、出門の「生身の男らしさ」
「阿修羅城の瞳」の主役である出門は、「生身の男らしさ」が必要なお役で、それがこっちゃん(礼真琴さん)の体格や『自慢の筋肉』に、見事に合っていたなぁと改めて感じます。
宝塚では、タカラジェンヌは「フェアリー」と呼ばれ、どこか幻想的で、ゆめゆめしい男装の麗人が伝統的なイメージとしてありますよね。
でも、出門にはそれだけでは叶わない、“現実味をともなう男らしさ”が求められた。
その絶妙なバランスを、こっちゃんはメイクで、仕草で、そして体格そのものでも見事に体現していました。
男役的“カッコいい”を超えた、舞台姿全てが人間味とリアリティを語るような男役像だったと思います。
以前も書かせてもらいましたが、まさにこういうところがね…
着流しがあんなにも粋に着こなせるのも、長年の男役としての技術力、醸し出す色気、そしてこっちゃんがこのお役を愛しているからだと感じます(;_;)
特にたまらなかったのは、深手を負って、臥せっている寝床から起き上がり、結上げた髪がほどけてそのままに流している姿。
刀を杖代わりにゆっくりゆっくり歩く姿、そしてありちゃんとのデュエットが、あまりにも色気と艶やかさに溢れていて、カッコよすぎて釘付けでした…
人外感とリアリティ、その“矛盾”が並び立つ奇跡
もちろん、オペラグラスをのぞいた先のこっちゃんは、完璧な切れ長彫深めメイクに、造形美のような目鼻立ち。
人間離れした美しさを放っていて、もはや“人外”と言いたくなるほどの存在感でした。
でも、その一方で、驚くほどリアルで人間らしい、生々しい色気と“男らしさ”を纏っているんです。
鬼を斬った後の一瞬の仕草や表情、ありちゃん演じるつばきを見つめる瞳、裸足に雪駄の足元、長い髪を結い上げたその髪の流れ…
この両極端とも言える要素が、こっちゃんの中で矛盾なく共存していて…
むしろ、その「良い意味のアンバランス感」こそが、今の礼真琴さんの男役としての真骨頂だったように感じます。
無理に演じているのではなく、自然にそこに存在しているように見えるのが、本当にすごい。
これはまさに、長年トップとして舞台に立ち続けてきた今のこっちゃんだからこそ到達できた姿だったのかもしれません。

着流しの裾をまくり、走るふくらはぎに男役の矜持を見た
その中でも、きっと多くの方が魅了されたであろうシーンは…
殺陣の途中で惜しげもなく披露されるふくらはぎ、走り去る瞬間にも、わざわざふくらはぎを全開にするのが、もうめちゃくちゃにカッコいいのです…!!
そして、私は個人的に、こっちゃんの女性としてはしっかりとした首のラインに、いつもとてつもなく男らしさを感じているのですが…
今回の出門では、その魅力が見事に活かされていて、とても素敵でした!
ただ走る、ただ立っている──その“ただ”の中に、しっかりと男役としての矜持がある。
そう感じさせてくれる場面が、随所に散りばめられていたように思います。
引き際までも計算された、“男役の完成形”
出門という役は、言葉数の多さもありますが。立ち姿や所作でも語るお役ですよね。
舞台上のセリフがなくなった後の“沈黙”の時間すら、物語の一部であり、出門の役柄を表現している。
礼真琴さんの出門は、その去り際の姿も印象に残りました。
役としてもトップスターとしても「礼真琴」としても、とてつもない頼もしさとカッコよさに惹きつけられる去り際。
それは、客席から見えなくなる、その最後の一瞬まで男役として美しくあろうとする姿勢がにじみ出ていたんですよね(;_;)
出門は芝居の中の人物でありながら、“礼真琴”という唯一無二のスター自身の姿にも重なりました。
そして、新公主演の稀惺くん
こっちゃんの出門が、あまりにもハマり役で、自然で完成された姿だったので…
新公でこのお役を演じた稀惺かずとさん(きしょうくん)が、どう表現されたのかにも、もう本当に気になってしょうがないです…!
礼真琴さんが築いた出門像を大切にしつつも、また新たな解釈を持ち込んでくれたのかもしれない、と思うとそれも頼もしい。
それは、礼真琴さんが創り上げた男役のスピリットが未来へと継承されていくことにほかなりません。
東京の新人公演、ライブ配信が楽しみですね。

礼真琴さんの出門は、男役の可能性を拡げた
礼真琴さんが演じた出門は、男役としての集大成をみせてくれただけでなく、“男役とはこうあるべき”という型の可能性をぐっと拡げてくれたようにも感じています。
タカラジェンヌは、フェアリーのように夢を見せる存在でありながら「リアルな人の体温」をもって、「生身の男らしさ」を体現してくれました。
その難しい両者を矛盾なく成立させられる男役が、今この宝塚歌劇団に居てくれるということ。
そしてそれを、一生懸命吸収しようとするタカラジェンヌが多数居てくれることは、礼真琴さんの一ファンとして、とても嬉しくて感慨深いものがあります。
そして、それは宝塚の舞台にこれから立つ男役さんたちにとっても、新たな可能性を提示する姿だったことでしょう。
大好きな礼真琴さん、退団間際のトップスターが、この時代に“出門”を演じてくれたこと。
観た後に、立ち上がれないくらいに衝撃を受けた「阿修羅城の瞳」は、こっちゃんと星組生の渾身の舞台でした。
それはきっと、今後も語り継がれていく…「宝塚の伝説の舞台」として、多くの方たちの記憶に永く残り続けるだろうと、強く感じています。
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