TAKARA座を続けていくなかで、自身で大切にしていることがいくつかあります。
その中で、特に肝に銘じたいと思っているのが、好きだからこそ「神格化」しないということ。
大好きな世界、大好きな人、大好きな作品…
宝塚歌劇が好きになってから、本当により心が豊かになったし、日々がより彩り豊かになったと感じています。
そして、その中でも特定のタカラジェンヌさんを熱烈に好きになったら、その楽しさはもう掛け算で増幅していきます。
TAKARA座を開設した理由は、これまで何回かお話しさせていただいたので割愛しますが、長く続けていく中でいつも感じることがあります。
それが、「今感じている、この名前のない、でもどうしても伝えたいこの感情を表現するにはどんな言葉が相応しいのだろう…」ということ。
驚くほどに気持ちにマッチする言葉がすっと出てくることもあるし、どれだけ考えていても言葉にならないこともある。そういう時は、書かないか、正直に「言葉にならない」と書くようにしています。
自身が感じているポジティブな感情が大きければ大きいほど、それにふさわしい「極上の言葉」を見つけたくなる。
でも、それを続けていくとどうなるか…
平易な表現では物足りなくなってしまい、どんどん「大袈裟」に「リアリティに欠ける」表現になっていくのではないかと思うのです。
なので私の場合ですが、やっぱり「誰がこの記事を読んでくださっても、すっと心に届く表現にしよう」と…
あまりにも過剰な表現で違和感のある内容にならないように…と、素直にその時感じた気持ちを「ポジティブな言葉」で綴ることを肝に銘じています。
何故そう思うのかというと、大袈裟な表現がエスカレートした先に「大好きな方を、結果的に苦しめる可能性があるかもしれない」という想像力からです。
ネガティブなことを一切書いていなくても、「本物の気持ちであっても褒め讃え過ぎることで、逆にその方を苦しめることもあるのかな」と感じるから…。
お人柄も、舞台人としてのスキルも、舞台を観れば見るほどオフトークを聞けば聞くほど「この方が好きだなぁ…!!」と思うし、応援したい気持ちが膨らみます。
でも、誰にだって弱い部分や、見せたくない部分、色んな側面があるからこそ人間。
そういう弱い部分を、次第に誰にも見せづらくなったり、もっともっと上を目指さねばとご自身を追い込んでしまったりすることもあるのでは…という想像力からです。
「しだいにイメージが構築され、蓄積されていく」ことで、宝塚の世界で言うと、知らず知らずにタカラジェンヌは「こうあるべき」という枠に閉じ込めてしまったり、「神格化」してしまったりするのかも…と想像するからです。
そのイメージを守っていくのって、きっと「かなりしんどい」ことじゃないかなと…

これ、初めて書かせてもらうのですが…
私、おこがましくもずっと、大切にしていることがあって。
ブログでもSNSでもネット上に一旦発信をしたならば、その波に乗って、そのコンテンツは自分が考えている以上に遠くへ遠くへと流れていくこともある…
ご本人の元に絶対に届かないなんて、誰にも言えないから…
とはいえ心に沸き上がった感情(特に感動)に対して、どうにか相応しい言葉を見つけたくなるものだし、その表現が「大袈裟すぎるのか」は人によって判断基準も異なるもの。
だからこそ、これからも常に「その先」に想像力をもって、言葉を綴っていきたいなぁと思う日々です。
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