宝塚歌劇団の在り方は、令和の時代に合っていない。
そんな声を、耳にする機会が増えました。
たしかに、宝塚歌劇団は「竜宮城だ」と表現された宝塚OGさんもいらっしゃいました。
宝塚の街に行ってみて私も思ったのですが、宝塚大劇場周辺は本当に独自の、独特の時間が流れている場所だな、と…。東京宝塚劇場の周辺、日比谷では感じなかった「歌劇の街ならではの空気感」が印象に残りました。

その非日常感が素敵なのだし、魅力の一つではあるけれど、同時に宝塚歌劇団内部の「時」は、令和の今に合わせていく必要がある部分もありますよね。
タカラジェンヌの労働条件や心身面の過度な負担など「世の中に知られたからこそ改善できる」という部分であるならば、明るみになる意味もあると思います。
でも、「ヴェールに包まれているからこそいい」という部分も…。
スマートフォン、WEBが普及する前の時代、人へ伝達されるツールは限られていました。
だからこそ、守られてきた「タカラジェンヌのプライバシー」があったのかもしれません。
今は、誰でもスマホで撮影ができ、それをすぐに「公共の場」にアップすることができる。
思ったことを言葉にして発信することができる。
ですがそのルールは、個々のモラルに委ねられている部分も多いですね。
タカラジェンヌに限らず、誰もがその脅威を感じる部分はあるでしょう。
タカラジェンヌの日常に思いをはせることは私自身もあって、特に公演が行われていない時は余計に、今はどんな様子なのかな、と気になります。
そんな部分を、限られた宝塚GRAPHや歌劇、発売されている書籍、Blu-ray、スカイステージなどでの「タカラジェンヌ自身の発信」が埋めてくれます。
私たちに見せてくれる彼女たちの「一部分」から、想像力を働かせて大好きな人たち(私の場合は礼真琴さん舞空瞳さんですが)の人柄を造形していくことが楽しいなと…。
(いつか、タカラジェンヌが宝塚の世界から旅立ったら、その時、個人個人の裁量で発信されるのを待ちたい。)
分からない部分があるから、知りたいけれど知ることはできないからこそ、「夢の世界を創るタカラジェンヌ」だという部分もあるのかもしれません。
(一方で、タカラジェンヌ自身に発信の機会が少ないこと、それによる閉鎖感は、これはとても難しい問題ですね…)
OGになれば、自己責任のもとご自身がInstagramなどでプライベートをアップされることもあるので、そうなればまた違ってくると思いますが…。
こうしたことが、もしかしたらタカラジェンヌの精神的負担になっていないかな、と…。
「芸事に精進する」という言葉を、よく耳にします。
芸名を極める終わりのない旅。
厳しい世界の中に身を置き、充実感と同時に、心身を擦りへらすことも多々あるでしょう。
だからこそ、芸事に精進できる環境づくりに微力ながら協力したいな、そして不要なストレスに心を擦り減らしてほしくないなと感じています。
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