急いては事を仕損ずる。
宝塚歌劇団は、まさにこの諺のとおりの状態になってしまった。やはり、あの会見と報告書で幕引きしようとした姿勢は、誰の目にも違和感しか残らなかったということでしょう。
そして、あれだけの時間を要して宝塚歌劇団側で調査をしたにもかかわらず(専門家からは調査時間も足りないという意見もあるよう)、会見で多くの批判を浴び、あまりにも内容が不十分であったためでしょう。
全劇団員約400人に聞き取り調査を行うことが、ネット上の新聞記事で掲載されていました…。
大好きな礼真琴さん舞空瞳さんが、今どんな気持ちで居るのだろう…そう思うと辛くなる。
社会的にもこれほどに批判を浴び、厳しい目が向けられている中で、タカラジェンヌが舞台に立っても本当に大丈夫なのか…。どう考えても、より火に油を注ぐ結果にならないかと心から心配です。
今回の件で宝塚歌劇団の内情が明るみになり、そのことで宝塚ファンのみならず世間の人たちが失望する結果となりました。宝塚歌劇団が何よりも守りたい109年の伝統、それに固執すればするほど、問題が複雑化して隠蔽と取られても仕方がない言動に繋がり、結局は宝塚歌劇団の大切にしてきた伝統を傷つけ続けている…。
でも、109年の歴史の中で「パワハラ」「異常に厳しい時代にそぐわない指導」これを全てのタカラジェンヌが全く同じようにやってきたのか…それは、違うのではないかと思っています。
その時代、人それぞれの人柄などで厳しさはあれど根底に「温かさを持って」「暴言と取られるような言葉を使わず」上級生と下級生が共に芸を磨いてきたというケースもあると思うのです。
私のブログでも、過去にさまざまな方たちの上級生、下級生の絆を語っています。
私も20数年宝塚歌劇を観てきてもちろんその本当の内側は知る由もないけれど、そう感じられる関係性も確かにありました。
愛のある厳しい指導はあっても、人格を否定したり追い込み過ぎたりするような、異常な言動をしていない人も居るのではないか。
もちろん自分がしていなければいい、という問題でもなく、そのような行き過ぎた指導を知りながら、内側から変わる機会がずっとなかったのは大きな問題であったと思う。
内側から変わる機会がない。それは宝塚歌劇団の閉鎖的な世界、他の価値観が入り込みづらい環境がそうさせていた部分もひとつの要因としてあると思います。
健全に宝塚歌劇団で芸事を自身を、そして下級生の魅力を磨いてきたタカラジェンヌにとっては、自分たちの職業を全うできる「舞台」という場所を長く奪われている今は、水のない場所で過ごす魚の様な状態なのかもしれません。
そう思うと、幕を上げずにずっと宝塚歌劇が止まっている状態は辛く息苦しいことでしょう。
一ファンとしても辛いです。
でも、宝塚歌劇団が焦り、物事を強引に進めようとしていること、やるべきことに真摯に向き合っていないことは、結果的にご遺族はもちろん多くの人たちの心を傷つけ、健全に頑張ってきたタカラジェンヌをも傷つける結果になっていると思うのです。
急いては事をし損ずる。
向き合うべきことに、向き合う。
今やるべきことに、人の心を持って注力する。
再調査によって、宝塚歌劇団が「内側から変わる」真の再生への糸口を掴むことを心から願っています。
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