宝塚歌劇団 村上浩爾理事長が、劇団の風土改革の進捗(しんちょく)、宙組の現状や今後について取材を受けたとの各社の記事を多数読みました。
すぐには、この記事について言葉を紡ぐことができませんでした。
ですが、「宝塚歌劇団を厳しく見守る」とこのブログても書いてきたように、今のこの気持ちは記しておきたいと思いました。
各社が、それぞれの視点で書かれた記事。
短いながら、宝塚歌劇団の現状が少しだけ伝わってきました。
批判も、擁護も、どちらかに「過剰に」傾いた感情は湧いてこず、ただただ複雑な気持ちが渦巻いています。
もちろんパワハラはあってはならないことで、それは許されることではない。
その責任の所在や、その後の対応について、宝塚歌劇団に世間から厳しい目が向けられるのは当然の事だと思います。
ただ、今の宝塚歌劇団の不安定な状況を見て違和感を覚えることはあっても、一ファンが「無責任に批判することも擁護することもできない」という感情もあります。
なぜなら、そうした批判はいつか、また違った形の悲劇を生むかもしれないからです。
もし、仮に宙組が大きく形を変えることになったとして、その矛先がご遺族に向いたなら…。
これ以上触れられたくない、もう関わらないでほしいとご遺族がもし思われているのなら…。
SNSの時代には、言葉は想像を越えて広がり、人の目に触れ、それがどう発展していくかは誰にもわからない。
想像でしかありませんが、そのどれも外野には知る由もありません。
だから、無責任に意見を言うことはできない、と思っています。
宙組の今の状況に、そしてこれまでの状況に違和感があるため、(頑張っているタカラジェンヌの皆さんが、真摯に舞台を務めていることは分かっていても)その違和感を拭って舞台を楽しむことができないと自覚し、結局私は宙組ライブ配信を観ることはありませんでした。
ただ、それだけです。個人個人が、それぞれの方法で無理をせず宝塚歌劇と向き合うだけのこと。
そういう気持ちになってしまったことはとても残念ですが、仕方がありません。
そういう持って行きどころのない違和感の正体を、何とか鮮明にしようとする時間も徒労だと感じます。
一ファンとしては、またどの組も観たいと思えるように、心から応援できるそんな宝塚歌劇団に生まれ変わってほしいと願い続けるだけしかできません。
ただ、宝塚歌劇団は宝塚歌劇を愛するすべての人たちと共に発展してきた歴史もあります。
だからこそ、宝塚を愛する人たちの意見を「公式」に募り、その集まった声も参考に改革を進めては…と思うことは多々あります。
ファンの気持ちがついてこなければ、未来のタカラジェンヌ誕生もいずれは先細りになり、これほどまでに愛されてきた宝塚歌劇団の存続にも関わる可能性もあるのでは、と感じます。
私は、礼真琴さん舞空瞳さんが大好きで、今もその気持ちは微塵も変わらず過ごしています。
ことなこの姿に勇気と元気をもらい、ときめく気持ちも変わりません。
今、このブログを読んでくださっているあなたにも、そう思える方がいらっしゃるかもしれません。
礼真琴さんがAERAで語っていたように、「宝塚歌劇に対する厳しい見方」の矢面に立つ、彼女たちのことを想うと言葉にならない気持ちになる。
記事には、「合理的でないもの、過剰な部分も多々あった」「下級生から上級生への『過剰な気遣い』がある」また、聞き取りでは下級生からの意見も多く出たと書かれていました。
こういうことが明るみになり、客観的な目に晒されたことは大きな一歩であり、良かったと思います。
記事を読むに再生への道はとても長いと思わされ、これほどに積み重なった伝統や慣習を一気に変えることは難しいことも、文面から伝わってきました。
それでも、心身共に健やかに舞台に立つことができる環境を目指し、宝塚歌劇団には真摯に尽力していただきたいです。
次回からは、普段通りのブログに戻ります。
「読んだよ!」のクリック↓↓していただけたら嬉しいです!
コメント