「星組ファン」として、触れずにはいられなかった…。

星組についての報道、元記事を読みました。

これまで、私はこういった報道からは距離を置いていたのですが、昨年からの一連の出来事があり「どのような内容であるか」自分の意志で読もうと決めて、電子版を購入しました。

これでは、報道する側の思うつぼかもしれません。

でも、昨年からの報道の全てが「事実無根」とは言えないこともわかり、残念な気持ちとともに「この場所でしか、声を上げられない現状が、星組にもあるのかもしれない」と読むことを決めました。

誌面には3ページにわたり、ぎっしりと星組の現状、宝塚の現状が書かれていました。

もちろん、全てを鵜呑みにすることはできないと思っています。

誇張されたり、言い回しに誤解を生むような部分があったりするかもしれません。

現に、以前大好きな礼真琴さんが、休演を余儀なくされた時、ご自身の体調について、こっちゃんの言葉で「ポリープを否定」されたことがありましたね。あの言葉は、とても心に残っています。

全くの事実無根なことを報道されてしまう可能性もある。

それは、こっちゃんのことだけではなく、さまざまな報道からも感じます。

ただ全てが事実ではないにしろ、宝塚歌劇団内に流れる、重苦しい空気や追い詰められるような厳しさ、しんどさは存在しているのかもしれない、と記事から感じました。

私は、新人公演はとても素晴らしい機会だと今まで思ってきました。

ですが、本当にタカラジェンヌにとって大きな負担でもあるのだな、と昨今の出来事で感じています。

研7までのタカラジェンヌたちの学びの場であり、飛躍の場である新人公演。でも、その裏では想像を絶するような厳しく、負荷のかかるお稽古が行われているのでしょう。

ではなぜ、これまでの長い歴史のなかで、新人公演がずっと行われてきたのか、スターさんたちが「新人公演から多くの事を学んだ」と話されているのか。

大変な新人公演を乗り越えたからこそ、今があると感じている方も多いのかもしれません。特に主要キャストの方々は、飛躍のきっかけにもなったでしょう。

私がこの記事を読んで、そしてこれまでのさまざまな方たちの言葉を思い出して思うことは「近年の作品の複雑さ、内容のクオリティが段違いに上がった」のではないかということです。

例えば、今回の報道にあった星組公演「RRR」は、あまりにもクオリティが高く、正直「これ、本当に宝塚?」と目を疑うほどの凄すぎる仕上がりでした。

いや、宝塚はもともとハイクオリティですが、今の星組に充てられる作品はどれも「新しい」の連続だと思うんです。

高低差のある舞台装置に特殊なダンス、歌、そして場面転換が早くその一つひとつがとても複雑。

これまでやってきたことを総動員しても、さらに「新しい挑戦」ばかりがやってくる。そのような状態に、礼真琴さん舞空瞳さんを筆頭に、星組生が食らいついて素晴らしい仕上がりに昇華しているように思えるのです。

「RRR」を観て本当に涙が出たし、私も「遠くまで観に来てよかった…」と心からの充実感、感動をもらいました。でも、同時に異次元の凄さに心配になることもあります。

どれだけ体力、精神力を擦り減らしてこの舞台を創っているのだろうと…。

礼真琴さん舞空瞳さん、そして今は暁千星さんのトリデンテがあまりにも「舞台人」として完成されていることもあり、複雑でハイクオリティな舞台を求められるのは、一星組ファンでもわかります。そして、それを異次元の完成度で仕上げてくれるのも実証済み。

ですが、宝塚歌劇団は、タカラジェンヌに求めすぎているのかもしれません。

作品に求めるクオリティが高くなればなるほど、7年目までのタカラジェンヌたちは、大きな壁を前に立ちすくんでしまうでしょう。そのようななか、無理に無理を重ねて不要な軋轢が生まれることもあるのかもしれません。

人は追い込まれたり、ストレスが溜まったりすると、言葉がきつくなり人に対しての思いやりが欠如する傾向があるもの。自分に余裕があれば人にやさしくできても、体調や精神面に負荷がかかり過ぎると、人への配慮まで気がまわらなくなるのではないでしょうか。

とてつもなく追い込まれ辛くても、周りに気を遣える方もいらっしゃるでしょう。

でも、それはきっと一握り。

宝塚歌劇団という閉ざされた世界で過ごしていると、偏った価値観のなかで自身の言動を顧みる機会を失ってしまう、また辛くても声を上げられない閉塞感が常態化する可能性もあります。

改革は進んでいない。風穴は開けられていない。

今回は星組が記事になりましたが、どの組にも同じような問題が横たわっているのかもしれません。

それを感じざるを得ない記事でした。

こっちゃんも、きっと心を痛めているんじゃないかな、と気がかりです。星組がこのような形で世間に晒されているのはこっちゃんにとって悲しいことでしょう。

私も、星組の一ファンとして本当に辛い気持ちになりました。

さまざまな問題点が挙がっているなか、きっと「こうすれば改善するのに」と内部ではわかっていることも多々あると思います。そういう事柄を迅速に吸い上げ、果敢に実行に移せる「忖度のない立場の人」が居てくれたら…。

そんな想いも去来しました。

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宝塚ファン歴20数年、福岡在住、このブログを運営しているnaomiです。

このブログは、アメブロで2011年に開設した「TAKARA座」を前身として、大好きな宝塚のこと、これまで観劇した作品について語っています。

筆者の詳しい自己紹介はこちら→https://takaraza.com/profile

コメント

コメント一覧 (2件)

  • ナオミ様
    私は元記事は読んでいないのですがSNSなどに上がっているものを読みました。劇団の改革も遅々として進んでいないのだなと言うのは分かりました。110年、外の世界とはかけ離れた世界を一足飛びに変えるのは容易ではないことも分かります。しかし、思っていることをこのような形でしか発せられないのはほんの一歩も進んでいないのでしょう。
    星組は体育会系と言われるのは、部活の先輩後輩のような関係を言っているのではないといつも思っていました。あんなに激しい歌やダンス、お芝居にかける熱量、それらを必死に琴さんなこちゃんを筆頭に稽古をし頭の先から手足の先まで命を懸けて私たちに見せてくれているだから体育会系なんだと、いつも見ているファンの方々、初めて見られる方でも実感し、感動していられると思っています。時代は随分変わってきています。私の職場でも、やらなければいけない事が出来ていないのを注意をすれば、圧が凄いですねパワハラですよって平気で上司に言える時代です。ただただ仲良しこよし上手だね~だけであの素晴らしい舞台は創れないのだと思います。
    琴さんが心痛めていないかと、告発した下級生が心を痛めていることに自分は気付かなかったのかと自分を責めたりしないかと心配です。

    • 佐藤陽子さん、コメント有難うございます。
      仰るように、芸の道は本当に厳しいものだろうと思います。
      時には、できていないことに対する厳しい指摘も必要なのでしょうね。

      ただ、もしあの報道にあったような「言い方」「表現方法」で指導をしていたとしたら、それは「芸の道は厳しい」という言葉では片づけられないなという印象でした。
      要は「伝え方」なのではないかと…。

      同じことを伝えるでも、「その言葉だけは使ってはいけないだろう」という線引き。そこが曖昧になり、どんどん暴言になっているとしたら、どこかでその指導方法に対しても指摘が必要だろうと。
      仰るように、仲良しこよしでは舞台は創れないでしょうし、今は特にコンプラが厳しいこともあり世代間の隔たりもあろうかと思います。

      報道がどこまで真実かわからないということもふまえ、この件を受け止めたいと思っています。

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